防衛省 市谷駐屯地 地下壕の見学
2007年 10月 27日
昨日、ラッキーにも、防衛省市谷駐屯地の第2次大戦時の地下壕を見学する機会を得ました。
空襲の中心地の東京の真っ只中にあったその拠点は、狙われないための様々な工夫が凝らされ、その時代の最先端の技術を使って、そのころまだなかった鉄筋の柱をドイツ等より取り寄せ、建築されました。
もう跡となって何十年もたち、その頃の部屋の壁や照明などの機材、器具などはまったくありませんでしたが、戦時中の空気を感じさせるには十分の場所でした。
通路型の地下壕には、元の執務室などのあとや、炊事場、トイレ、浴室、空気溝、蛍光灯の配線など、ただのコンクリの穴の中にもその跡が残されており、その執務室などは、敗戦の前日14日に一度のみ利用され、そのときの指揮官が最後の敗戦決断をなされたところのようです。
本当に厳しかったであろう戦火の中心地、実在したその空間に立ち、本当に戦争は想像できない怖いものだと思いました。
今、いろんなことで話題になっている防衛省、また、敷地の中には平和な空気がとてもありますが、本当に平和というあたりまえのことを意識して働く末端の人たちが、多くがんばっているところでもあるのだとも思いました。
普通の大切さはわかりずらいですよね。
空襲の中心地の東京の真っ只中にあったその拠点は、狙われないための様々な工夫が凝らされ、その時代の最先端の技術を使って、そのころまだなかった鉄筋の柱をドイツ等より取り寄せ、建築されました。
もう跡となって何十年もたち、その頃の部屋の壁や照明などの機材、器具などはまったくありませんでしたが、戦時中の空気を感じさせるには十分の場所でした。
通路型の地下壕には、元の執務室などのあとや、炊事場、トイレ、浴室、空気溝、蛍光灯の配線など、ただのコンクリの穴の中にもその跡が残されており、その執務室などは、敗戦の前日14日に一度のみ利用され、そのときの指揮官が最後の敗戦決断をなされたところのようです。
本当に厳しかったであろう戦火の中心地、実在したその空間に立ち、本当に戦争は想像できない怖いものだと思いました。
今、いろんなことで話題になっている防衛省、また、敷地の中には平和な空気がとてもありますが、本当に平和というあたりまえのことを意識して働く末端の人たちが、多くがんばっているところでもあるのだとも思いました。
普通の大切さはわかりずらいですよね。
by riedd
| 2007-10-27 18:15
| ただの日記